の話しをしたら、何んとかなろうと思ったのでしょう。その人は、吾妻橋《あずまばし》を渡って並木の方から東雲師の店(当時は駒形《こまがた》に移っていた)を差してやって来たのでした。
その日は暑い日でした。何月頃であったか、表通りの炎天を見ながら、私は店頭で仕事をしていました。其所へ一人の人が尋ねて来た。
「師匠はお宅ですかね」
「師匠は朝から山の手へ要事があって出掛けましたが……」
私がそう答えますと、その人は失望したような表情をしました。
「そうですか。じゃあ、ちょっとは帰りませんね。ああ、生憎《あいにく》だなあ……惜しいことだなあ……」
と、何か容子《ようす》ありげに嘆息しております。私はどうしたのかと思って、その来意を尋ねると、「実はこれこれで……余り見兼ねた故、此店《こちら》の師匠に知らせて上げたら、何んとかなるだろうと思い、わざわざやって来たんだが、師匠が留守とあってはどうもしようがない。これが明日《あす》、明後日《あさって》と待っていられることではないのだから、今一刻をも争うというところだからね。だが、どうも仕方がない。さようなら」
そうその人はいいながら、帰ってしまい
前へ
次へ
全10ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング