の話しをしたら、何んとかなろうと思ったのでしょう。その人は、吾妻橋《あずまばし》を渡って並木の方から東雲師の店(当時は駒形《こまがた》に移っていた)を差してやって来たのでした。
その日は暑い日でした。何月頃であったか、表通りの炎天を見ながら、私は店頭で仕事をしていました。其所へ一人の人が尋ねて来た。
「師匠はお宅ですかね」
「師匠は朝から山の手へ要事があって出掛けましたが……」
私がそう答えますと、その人は失望したような表情をしました。
「そうですか。じゃあ、ちょっとは帰りませんね。ああ、生憎《あいにく》だなあ……惜しいことだなあ……」
と、何か容子《ようす》ありげに嘆息しております。私はどうしたのかと思って、その来意を尋ねると、「実はこれこれで……余り見兼ねた故、此店《こちら》の師匠に知らせて上げたら、何んとかなるだろうと思い、わざわざやって来たんだが、師匠が留守とあってはどうもしようがない。これが明日《あす》、明後日《あさって》と待っていられることではないのだから、今一刻をも争うというところだからね。だが、どうも仕方がない。さようなら」
そうその人はいいながら、帰ってしまいました。
この話を聞いて困ったのは私です。
どう所置をして好いか分らない。後刻《のち》ともいわさず、今が今という速急な話……こうして困《こう》じ果てて考えている時間さえも今の人の話の容子では危《あぶ》ないほどのこと……ハテ、どうしたものかと考えた所で師匠は留守、帰りを待っている中には万事は休してしまう。これは実に困ったと真底《しんそこ》から私は困り抜きました。
しかし、困ったといって、こうして腕を拱《く》んで、阿呆《あほう》見たいな顔はしていられない。どうにかしなければならないという気が何よりもまず先立って来る。あの百観音が今焼かれようとしている。灰にされようとしている。灰にされてしまったらどうなるのだ。……あの、平生《ふだん》から眼の底に滲《し》み附いている百観音が……自分の唯一のお師匠さんだったあの彫刻が、今にも灰になろうとしている……、もう、今頃はあのお姿のどれかに火が点《つ》いているかも知れない。焼け木杭《ぼっくい》見たいになっているかも知れない……そう思うと情けないやら、懐《なつ》かしいやら、またそれがいかにも無残で、惜しいやら、私はただもうふらふらとその現場へ飛んで
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング