に対しては手酷《てきび》しくやられたものであるから、さながらに仏法地に堕《お》つるという感がありました。で、このお寺を維持保存するなどは容易のことではない。部分的にちょっとした修繕をするということさえむずかしい。彼の百観音を納めてある蠑螺堂のある場所を、神葬祭場にするという評判さえあって、この霊場の運命も段々心細くなるばかり……その中、とうとう蠑螺堂は取り毀《つぶ》すことになって、壊《こわ》し屋に売ってしまいました。
 ところが、この売るということが、お話しのほかで、買い手もないといった頃、その頃の堂々たる大名、旗本の家屋敷、あるいは豪商大家の寮とか別荘とかいうものでも、いざ、売り払うとなると二束三文、貰ってもしようがないと貰い手もない時節であるから、この蠑螺堂を、壊し屋が買った値段も想像されます。とにかく、その建築物の骨をば商売人が買ったが、その中に百観音が納まっている、さあ、この観音様の処分をどうしましたか。これが涙の出るようなことでありました。



底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房

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