ます。
 この百観音は、羅漢寺|建立《こんりゅう》当時から、多くの信仰者が、親の冥福《めいふく》を祈るためとか、愛児の死の追善《ついぜん》のためとか、いろいろ仏匠をもっての関係から寄進したものであって、いずれも中流以上の生活をしている人々の手から信仰的に成り立ったものであります。それで、各自《てんで》にその寄進の観音をば出来得るだけ旨《うま》く上手に製作《こしら》えてもらおうというので、当時、江戸では誰、何処《どこ》では誰と、その時々の名人上手といわれている仏師に依頼して彫らしたもので、それが一堂に配列されることであるから、自然と自分の寄進したものが、他より優《すぐ》れているようにと、一種の競争心を生じ、一層このことに熱心になるという傾向《かたむき》を為《な》します。一方依嘱された仏師の方でも、各名人たちの製作が並んで公衆の面前に開展されることでありますから、これも腕により[#「より」に傍点]をかけるという風、伎倆《ぎりょう》一杯に丹精を擬らし、報酬の多寡などは眼中に置かないという有様となる。そして、その寄進された観音には京都の仏師もある。奈良の仏師もある。江戸の仏師が多分を占めてはお
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