幕末維新懐古談
身を引いた時のことなど
高村光雲
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)後《あと》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)師匠|歿後《ぼつご》
−−
さて、これから後《あと》の始末をつける段となるのでありますが、急に師匠に逝《ゆ》かれては、どうして好いか方角も付きません。しかし相更《あいかわ》らず仕事だけはやらねばならぬから、まずこの方のことを引き締めて掛かることにしました。
ここでちょっと思い出しましたが妙なお話がある。それは師匠が生前丹精して寛永通宝の中から、俗に「耳白《みみしろ》」という文銭を選《よ》り出しては箱に入れて集めておられ、それが貯《たま》り貯りして大変な量《かさ》になっていたのを、蔵の中にある穴蔵の中へ入れてありました。それを奥の人たちが師匠|歿後《ぼつご》早々取り出し調べて見ると、勘算してちょうど五十円ほどありました。一文銭の五十円ですから、随分大した量、ちょっとどうするにも困るようなわけでありましたが、ちょうど彼《か》の亀岡氏から用立てて頂いた葬式費用の五十円という借用の方へ、亀岡氏の望みでその文銭五十円でお払いを済ましたようなことがありました。亀岡氏は、師匠生前|永《なが》の歳月を丹精して集められたもの故、自分はこれを神仏へのお賽銭《さいせん》に使用するつもりである。師匠の供養ともなるであろうと申されていたのを聞いて、私は涙ぐましく思ったことがありました。
師匠の仮初《かりそめ》の楽しみが、偶然葬式の料となったことなども考えて見れば妙なことと思われます。
また或る日のこと、亀岡氏は私に向い、
「師匠没後の高村家の一切は、君が当面に立ってやってもらわねばならぬ。この事も未亡人にも私から話してあるから、そのつもりで万事を遠慮なくやってくれるよう。政吉はあの通りの人であるから、決して当てにせぬように」
との事であった。そして亀岡氏は高村家のために或る組織の下に店の業務を取り計らおうなどいわれたこともあったが、そういうことは私などもまだ智識が足らぬ時分で能《よ》く分りもせず、そのことはそれ切りで実現はしませんでした。そして私は寿町《ことぶきちょう》の宅から(堀田原から寿町へ転居)毎日通い、仕事の方のことをやっておったのでありますが、いかに私が表面に立って師匠没後の仕事を取り扱う責任を
次へ
全4ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング