持つとはいえ、私は一個の手間取りでありますから、高村家の後事《こうじ》について一家の内事にまで指図《さしず》をするというわけには参らず、甚だ工合の悪い立場に立ったのであった。

 それで、私はまず専念仕事の方のことを処理するが何よりと、従来よりも一層仕事の上に忠実を尽くし、すべての注文の上に手一杯念入りにして、東雲師没後の彫刻に一層好評を得るよう心掛けました。これは、店の寂《さび》れることを用心するには、注文の品を手堅く念入りにして、一層|華客場《とくいば》の信用を高めることが何よりと感じたからであった。しかるに、私の考えと、政吉の考えとは、どうも一致いたしませんで、政吉はまず差し当りの儲《もう》けを見て行くという意見で、たとえば私が下職の方の塗師《ぬし》の上手《じょうず》の方へやろうというのでも、政吉は安手の方の塗師重《ぬしじゅう》で済まして、手間を省こうという遣り口。しかし昼間はすべて私が積りをして、これこれの目算を立て、政吉に一応相談をすると、それが好いだろうと同意している。私はその手順にして夜分家に帰ると、夜になって、政吉は、未亡人に向い、
「幸吉はこれこれと積っているが、あれでは儲けが薄い。素人《しろうと》の客に馬鹿念を入れてやって見たってしようがない。塗りのことなんぞ素人に分るもんじゃない」
などいう風に自分の意見を吹き込むので、度重《たびかさ》なれば、未亡人は利溌《りはつ》な人であっても、やっぱりその気になって、政吉の意見に従おうとする。それに政吉は当時師匠の没後ずっと師宅に寝泊まりをしていて、遠慮のない男で、夜になると、酒を火鉢《ひばち》で燗《かん》をしてのむなど甚だ不行儀で、そのくせ、必要な客との応対などは尻込みをして姿を隠すなど、なかなか奇癖のある人物で、私とはどうも性《しょう》が合いかねました。
 まず右のような行きさつで、私が一つこの際踏ン張るとすると、勢い兄弟子を下ッ取りにしなければならぬ。それも嫌《いや》なり。何ともつかずやれば成績は上がらず、かえって邪魔をされ、邪魔されて師匠の没後の家のためにならぬにかかわらず、のんべんだらりで附いているはさらに嫌なり。亀岡氏に話してこの成り行きを詳しくすれば、これまた自然同氏から未亡人へ小言《こごと》が行くことになる。何か物をいいつけるような形になってこれまた私の性として好まぬところ、あれやこれやにて
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