いが、まず、のましたつもりにして婆さまのいう通りに薬をやめさせた。二日間薬をやめたのであった。
と、その少し前、眼鏡屋の主人がぽっくり死んでしまった。古川医師は、どうも可怪《おか》しい、不思議なこともあるものと首を傾けていると、こちらの師匠の容態が、また危機に迫ったというので、診断して見ると、これはどうも大変なことになっている。これはいけない。これは最早《もはや》扶《たす》からない。しかし、今日《こんにち》までの経過は、こう迅《はや》く迫って来べきでないが、何か、どうかしたのではないか。何らか特別の手落ちがなくてはこうなるはずはないと問い掛けられて、奥の人たちは今さら隠すわけにも行かず、実はこれこれでと右の婆さんの一条を話し、薬は二日休んだと有体《ありてい》に申しました。古川医師は、もはや、自分の匙《さじ》の用い処もないと嘆息する。一同も途方に暮れ、手の出しようもないのでありましたが、その夜十時頃、師匠東雲師はついに永眠されたのでありました。それは、明治十二年九月二十三日の午後十時、師匠は、享年五十四でありました。
法名は、光岳院法誉東雲居士、墓は下谷区|入谷《いりや》町静蓮寺にご
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