はない。向うから頼みに来たのだ。いやならよすまでのことだ。唐子には唐子の約束があるんだ。しかも、この下絵は楓湖さんがつけたのだ。毛唐人に日本の彫り物が分ってたまるものか」など、そこはいわゆる名人|気質《かたぎ》でなかなか一刻である。私も、気を張って製《こしら》えた雛形が落第とあっては師にも気の毒なり、第一自分も極《きま》り悪い。
「どうも案外な結果になって相済みません」というより仕方ないのでした。ところが師匠は、「お前の粗忽《そこつ》ではない。俺《おれ》が好いと思うからこれで結構といったのだ。俺の責任だ。お前が心配をすることは一つもない。向うの人間が分らず屋なんだ」
と、一時は気をわるくしても、私のことは、こういって、サッパリした人ですから、怒った後は笑っている処へ、二時間ほどして再びベンケイが一人でやって来ました。師匠の不満な顔を見ると、にこにこしながら、
「先刻はお気に障《さわ》ったかも知れないが、客が素人《しろうと》で彫刻を見る眼がないから気に入らない風を見せたのですが、実は、いうまでもなく、あの雛形は大変|旨《うま》く出来てるんです。けれど、単に外見の上から形が少し気に入らないというので、……それは、つまり思惑《おもわく》が西洋の人と日本の人と違うのです。というのは、こうなんです。西洋人は唐子の約束なんか分らず、人間なら人間のようにもっとすらりと身長《せい》が高ければ好いので、あんなに、ぶよぶよ肥太《ふと》って、ちんちくりんでは第一物を捧《ささ》げている台として格好が附かないと、まあ、こういった訳なんですから、今度は当り前の人間だと思って、当り前にやって見て下さい。西洋彫刻の人物は、すべて痩《や》せて、すらりとしてるんですから、余り短く、でくでくしてると、不具者《かたわ》の人間見たようだって、あの人に気に入らなかったんです。気に入らない処はたったこれだけなんです。仕事の能《よ》く出来てることは、私はもちろん、あの人たちも充分認めているんです。で、あの雛形を作った人の腕前なら、それを、もっとすらりと痩せて拵えることは何んでもないことでしょう。その点さえ心得てやり直してもらえば今度は必ず気に入りますから、どうか、一つ、気を悪くなさらずにやって下さい」
 相更《あいかわ》らずベンケイの応対は旨いもので、流暢《りゅうちょう》な日本語でやっている。一本気で、ぷんぷん怒
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