れの場所へ出すものだということだからなかなか気が張ります。師匠の言葉もあることで、腕限りやるつもりで引き受けて、いよいよその製作に取り掛かったのであった。

 その白衣観音は今日から考えても別段目先の変ったものではなく、従来の型の如く観音は置き物にするように製作《こしら》えましたが、厨子《ずし》などは六角形塗り箔で、六方へ瓔珞《ようらく》を下げて、押し出しはなかなか立派であった。それでその売価はというと、これが不思議な位のことで、観音は大きさが一尺で、材は白檀《びゃくだん》、充分に手間をかけた念入りの作。厨子はこれまた腕一杯に作ってある。それで売価七十円というのであった。今日では箱だけ樅《もみ》で拵《こしら》えてもそれ位の代価は掛かるかも分りませんが、何しろ一ヶ月その仕事に掛かり切っていても、手間は七円五十銭という時代であるから、自然そういう売価が附けられたことと思われます。とにかくお話しにならぬほど安いものでありました。
 さて、博覧会は立派に上野で開会されました。博覧会がどんなものかということを一切知らなかったその頃の社会では多大の驚きであったことですが、これらのことについての話は
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