政府の当路の人たちは夙《つと》に海外の文明を視察して来ておって、博覧会などの智識も充分研究して来られたものであったが、それらは当局者のほんの少数の人たちだけで、一般人民の智識は、そういうことは一切知らない。その見聞智識の懸隔は官民の上では大層な差があって、今日ではちょっと想像のほかであるような次第のものであった。
右の通りの訳|故《ゆえ》、博覧会開催で、出品勧誘を受けても、どうも面倒臭いようで、困ったものだという有様でありました。ところが師匠東雲師も美術部の方へ何か出すようにという催促を受けました。師匠も博覧会がいかなるものであるか、一向分っておりません。それでどんなものを出して好いかというと、彫刻師の職掌のものなら、何んでもよろしい出してよい。従来製作しておるものと同じものでよろしいという。それではというので師匠は白衣《びゃくえ》観音を出品することにしたのでありますが、そこで師匠が私に向い、今度の博覧会で白衣観音を出すことにしたから、これは幸吉お前が引き受けてやってくれ、他の彫刻師たちもそれぞれ出品することであろうから、一生懸命にやってくれということでありました。
私はこうした晴
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