幕末維新懐古談
初めて博覧会の開かれた当時のことなど
高村光雲

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)相更《あいかわ》らず

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)訳|故《ゆえ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)えらい[#「えらい」に傍点]
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 堀田原から従前通り私は相更《あいかわ》らず師匠の家へ通っている。すると、明治十年の四月に、我邦《わがくに》で初めての内国勧業博覧会が開催されることになるという。ところが、その博覧会というものが、まだ一般その頃の社会に何んのことかサッパリ様子が分らない。実にそれはおかしいほど分らんのである。今日《こんにち》ではまたおかしい位に知れ渡っているのであるが、当時はさらに何んのことか意味が分らん。それで政府の方からは掛かりの人たちが勧誘に出て、諸商店、工人などの家々へ行って、博覧会というものの趣意などを説き、また出品の順序手続きといったようなものを詳しく世話をして、分らんことは面倒を厭《いと》わず、説明もすれば勧誘もするという風に、なかなか世話を焼いて廻ったものであった。
 当時、
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