、媒妁人《なこうど》がなくてはならぬというので、誰に頼むかということになったが、私とて、まだこれという友人も出来ない時分、誰に頼んだものかと考えましたが、思い出したのは彼の高橋定次郎氏であります。この人は私がかねてから、その人格その他を尊敬している知人であるばかりでなく、先年、その妹の人とのこともあって、何かと縁がつながっているように思います所から、媒妁人になってもらえば、仲人親《なこうどおや》という位、若くしてこの世を早くした妹|御《ご》のためにも何かと由縁《ゆかり》があるよう感じまして、右の義を師匠に話しますと、それは好い人を見つけた、早速頼むがよかろうというので、高橋氏に話すと快諾してくれましたので、形ばかりの結納《ゆいのう》を取り交《かわ》し、明治八年の十一月七日に、九尺二間の我家で結婚の式を挙《あ》げたのでありました。
 当時、高橋定次郎氏が自ら書かれた結納の書き附けが今以て残っている次第であります。当時、私は二十四歳、お若は十八でありました。
 その夜のお客は、師匠東雲先生、お若の養母おきせさん、仲人の高橋定次郎氏、私の兄の家内に、両親、我々両人、その他一、二名と覚えており
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