ほど増しだ、と思い出すと、もう、とても大儀《たいぎ》で、其所へ坐っていることが出来ず、とうとう中途で、挨拶もせず、こそこそとその部屋《へや》を逃げ出して帰って来て、ホッとしたことがありました。
 それから、翌朝、裏の井戸へ顔を洗いに行くにも、そのお袋さんが出ては来ないかと心配で、松どんに水を汲《く》んでもらって井戸端へ出られないなど散々気を揉《も》みましたが、先方では、何か私に対して粗怱《そそう》でもあったかなど物固い人たちとて気にし、どういう訳で中途で帰られたか、心配をしてお袋さんが、師匠の家へ申し訳に来るやら、師匠の妻君がいいわけをするやら、師匠はまた私に、揶揄《からかい》半分に、一遍切りで逃げて帰るなぞ笑うやら、まことに馬鹿々々しいことであった。
 要するに、踊りなどいうことは、真面目《まじめ》にいうと、その性に合わなかったものと見える。その頃おい、この母娘《おやこ》のように、武士の家庭のものが生計《たずき》のために職を求め、いろいろおかしい話、気の毒なはなしなど数々ありました。



底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年1月17日第1刷発行

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