で、到《いた》る処の肴屋《さかなや》では鰹の山を為《な》していました。それで何処の台所へもざら[#「ざら」に傍点]に鰹が這入《はい》る。師匠の家でも或る日鰹の刺身《さしみ》がお総菜に出るという塩梅《あんばい》、大漁のお蔭にて久しぶり我々は有難くそれを頂戴《ちょうだい》したことであったが、今申す如く、発育盛りの年輩ですから、おきまりの一人前《ひとりまえ》の刺身位は物の数でもなく、たちまちそれは平らげられてしまいます。おかしいお話だが、実は口よごしといった位のもの……それでかえって物足りない気がして、もっと心行くばかり今の刺身が食べたいという気持になるは無理もなく、台所には、まだ師匠や妻君の分が大分皿に盛られたまま晩食の分が鼠入らずに這入っておりますので、私はどうも、それが気になって、何んとかして一つそれをすっぱりとやってみたくなりましたが、当時師匠の台所は師匠の妹のお勝という婦人が仕切っていますからいかに奥店無差別の平等主義な家庭であっても、そう勝手に台所の権利を攪乱《かくらん》するわけには行きませんから、何んとか旨《うま》い案を考えて、その目当てのものを占領《せし》めてやろうと、店で仕
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