注意をされ、その場は笑いで終りました。

 その後、この上人《しょうにん》が、鼠一匹のことから、何かにつけて私を愛してくれられ、幸吉へと指名して彫る物を頼まれたことも度々《たびたび》で大いに面目を施したことがありました。この世尊院という寺は本郷《ほんごう》駒込|千駄木《せんだぎ》に今でもあります。

 ついでに、も一つ猫の話をしましょう。これは私の少し悪戯《いたずら》をし過ぎた懺悔《ざんげ》ばなしです。
 誰でも奉公をした方は覚えがありましょうが、発育盛りの十六、七では、当てがわれただけの食事《もの》では、ややともすれば不足がちなもの……小体《こてい》の家ではないことだが、奉公人を使う家庭となると、台所のきまり[#「きまり」に傍点]があって、奉公人の三、四人も使っておれば、大概お総菜《そうざい》など、朝は、しば[#「しば」に傍点]のお汁、中飯に八《はち》ハイ[#「ハイ」に傍点]豆腐か、晩は鹿尾菜《ひじき》に油揚げの煮物のようなものでそれは吝《つま》しいものであった(朔日《ついたち》、十五日、二十八日の三日には魚を付けるのが通例です)。

 或る年の三、四月頃、江戸では鰹《かつお》の大漁
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