「まあ、好いから、沢山におあがり……」
という。私は好物のことなれば直ちに箸《はし》を取り、お礼をいって食べていると、誰やら、くすくす笑い出します。師匠の妻君《さいくん》も笑い出す。師匠の妹にて、お勝《かつ》という台所を仕切っていられる婦人も笑い出し、「幸さん、ご馳走様《ちそうさま》……」などいい出して、いかにも容子が変であるから、一体、このおそばはどうしたのですと、また問いますと、今まで真面目《まじめ》な顔をしていられた師匠も笑《えみ》をふくみ、
「実は、これは、お前の御馳走なんだ。お前の鼠は逃げて蕎麦になったんだ。遠慮なしに沢山おあがり……」
 こういわれて初めて気が附き、あの鼠を棚へ上げたまま、忘れてしまって使いに行ったが、どうしたろう、と店へ行って棚を見ると、鼠は何処へやったかおりません。……しかし、鼠が逃げてそば[#「そば」に傍点]になったとは、いよいよおかしいと思っていると、実は斯々《かくかく》と師匠は私の留守《るす》に起った一条を物語り、世尊院の住職のお目に留まったは好《い》いとしても、今から勝手なことをするようでは末始終《すえしじゅう》身のためにならぬからと、アッサリと
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