と、奥の方から師匠の自分を呼ばれる声がする。びっくりして師匠の前へ参ると、
「幸吉、お前、これから直ぐに大伝馬町《おおでんまちょう》の勝田さんへ使いに行ってくれ、急ぎの用だから、早く……」
と、いうお言葉。畏《かしこ》まって、直ぐに店を飛び出して行きましたが、その時、急な要事というので、鼠のことを打ち忘れ、そのまま、棚の上に置きっぱなしにして出たのでありました。そうして、師用を済まし、私は午後三時頃てくてく帰って来ました。
ところが、その、私の留守中に、店へ来られたお客があった。その方《かた》は上野|東叡山《とうえいざん》派の坊様で、六十位の老僧、駒込《こまごめ》世尊院《せそんいん》の住職で、また芝の神明《しんめい》さまの別当を兼ねておられ、なかなか地位もある方であったが、この方が毎度師匠の許《もと》へ物を頼みに見えられます。今日もそれらの用向きで参られて、師匠と店頭にて話をしておられました。と、ふと、坊様は、師匠に向い、
「先刻《さっき》から、あの棚の上に鼠がいるので妙だなと思っていたのだが、あれは本当の鼠ではないのですね。彫り物なんですね。誰が拵《こしら》えたのですか」
といい
前へ
次へ
全12ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング