された悴《せがれ》とか、番頭のようなものが、火事と聞いて、迅速に駆け附けますと、それを手柄に勘当が許されたもの、全く火事は江戸人の重大視したものの最たるものであった。
 俗に、火事を江戸の花とかいって興がるもののようにいいなされておりますが、実際は、興がるどころではなく、恐怖の最大なものであったのです。
 それで、大火となると、町家の騒ぎはいうまでもないが、諸侯《だいみょう》の手からも八方から御使番《おつかいばん》というものが、馬上で、例の火事|頭巾《ずきん》を冠り、凜々《りり》しい打扮《いでたち》で押し出しました。これは火事の模様を注進する役目です。一層大きくなれば、町奉行が出て、与力《よりき》とか同心とかいうものが働きます。
 すべて、幕府時代においては、江戸の市中、大名、旗本の屋敷が六|分《ぶ》を占め、四分が町家である割合ですから、町家が火事を重大視した如く、武家もまた戦場のように重く視《み》ました。近火の場合には武家も町家《ちょうにん》も豪家になると、大提灯または高張りを家前なり、軒下に掲げ、目じるしとして人々の便を計りました。
 このほか、火事についてはいろいろまだ話もあるが
前へ 次へ
全6ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング