ち》、お前は暫《しばら》く此所で荷物の番をしていてくれ、俺《おれ》たちはまた引っ返して来るから」そういって三人は吾妻橋の方を差して出て行きました。幸吉というのは私のその時分の呼び名です。光蔵《みつぞう》という語音が呼びにくいので光《みつ》を幸《こう》に通わせて幸吉と呼ばれていました。
出て行った三人は、二、三十|間《けん》ほども行くと、雷門際は荷物の山、人の波で、とても大変、籠長持など差し担いにして歩くことはおろか、風呂敷包み一つさえも身には附けられぬほどの大混雑、空身《からみ》でなければ身動きも出来ない。所詮《しょせん》は生命《いのち》さえも危《あぶ》ないという恐ろしい修羅場《しゅらじょう》になっておりますから「これでは、どうも仕方がない。生命あっての物種《ものだね》だ。何もかも抛《ほう》り出してしまえ」というので、父の兼松と政吉とは籠長持を投げ出してしまう。果ては人波に押され揉《も》まれしている中に三人は散々《ちりぢり》バラバラになってしまいました。
万年屋の前に荷物の番を吩咐《いいつ》かって独《ひと》り取り残された私は、じっと残りの荷物の番をしておりました。子供心にも、師
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