の海となり、諏訪町、駒形一円を黒烟に包んで暴《あば》れ狂って来た。
 で、今度は広小路の方へ追われて出て、私たちは広小路の万年屋(菜飯屋)の前へ荷物を運び出しました(万年屋は師匠の家のしるべ[#「しるべ」に傍点]でした)。
 すると、風が西に変って強くなったものだから、一度南進した火先は、先方へ延びずに後《あと》へ退《さが》り、西飛の癖として、火先へ延びず、逆に尻火に延び、反対に退却した形になって仲町から田原町へと焼けて来た。それのみならず、今度は、その後退した火先は、西風に煽《あお》られて物凄《ものすご》い勢いをもって広小路へ押し出して来たのです。
 一体、浅草は余り火事|沙汰《ざた》のない所|故《ゆえ》、土蔵など数えるほどしかなかった。それに安政の大地震《おおじしん》の際、土蔵というものが余り役に立たなかったことを経験しているので、一層数が少なかった。ただ、酒屋の内田に五ツ戸前ばかり、他に少々あったほどだから、枯れ草でも舐《な》めるようにめらめら[#「めらめら」に傍点]と恐ろしい勢いで焼いて行く。一方は諏訪町、駒形方面から、一方は門跡から犇々《ひしひし》と火の手が攻めかけて来るのだ
前へ 次へ
全7ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング