で、店の中央に石臼《いしうす》を据《す》えて五倍子粉を磨《す》っている陰陽の生人形が置いてあって人目を惹《ひ》いたもの、これは近年まで確かあったと覚えている。その手前に「清瀬《きよぜ》」という料理屋があってなかなか繁昌しました。その横町が、ちっと不穏当なれど犬の糞横町《くそよこちょう》……これも江戸名物の一つとも申すか……。
 清瀬から手前に絵馬屋《えまや》があった。浅草の生《は》え抜きで有名な店でありました。何か地面|訴訟《あらそい》があって、双方お上へバンショウ(訴訟の意)した際、絵馬屋は旧家のこと故、古証文を取り出し、これは梶原《かじわら》の絵馬の註文書でござりますと差し出した処、お上の思《おぼ》し召しで地所を下されたとかで、此店《これ》が拝領地であったとかいうことでありました(並木と吾妻橋との間に狭い通りがあって、並木の裏通りになっている。これは材木町といって材木屋がある)。それから、並木から駒形へ来ると、名代の酒屋で内田というのがあった。土蔵が六戸|前《まえ》もあった。横町が内田|横丁《よこちょう》で、上野方面へ行くと本願寺の正門前へ出て菊屋橋通りとなる見当――
 内田から手
前へ 次へ
全13ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング