懐工合《ふところぐあい》が悪いので、行きしぶっているとして、工面《くめん》の好い連中が、「何を考えてるんだ。出掛けろ出掛けろ」と、一切|飲食《のみくい》のことをも負担したもので、なかなかうつくしいところがあったものです。
 と、いって、またなかなか仕事の事になると許さない処がある。田舎から用事のある人が訪問《たずね》て来て、或る仏師の店を覗《のぞ》き、「もし、お尋ねしますが、此店《こちら》に仏師[#「仏師」に傍点]の松さんはいますか」
と聞いたものです。すると、誰かが、
「仏師[#「仏師」に傍点]の松さんね。そんな人はいないよ」と返事をしたもの。
 実は其所《そこ》に松さんは隅《すみ》の方で小さくなって仕事をしているが、それはまだ「仕上げ師」の方で、仏師と呼ばれる資格はないから、こんな皮肉な返事をしたもので、田舎《いなか》の人は、仏師屋の職人だから、仏師かと思って何んの気なしにいったのですが、松さん当人は顔が紅《あか》くなるようなわけ。なかなか許さなかったものです。仕上げをするのを、ケズリ[#「ケズリ」に傍点]師といって、これはまだ未熟の職人の仕事で「刻《ほ》り」をするようにならなけれ
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