ば、仏師の資格はないのです。けれども、当時は、各人その職に甘んじ、決して不平なんぞをいいはしませんでした。それは自分の腕を各自が知っていたからでありましょう、すべて、一尺以内の小者を彫るのを小仏師、一尺以上を大仏師といったもの、大仏師になれば大小を通じてやる腕のあることはもちろんのことでした。

 それで、腕は優《すぐ》れていながら、操行《みもち》のおさまらぬ職人の中などに、どうかすると、鑿《のみ》と小刀を風呂敷《ふろしき》に包み、「彫り物の武者修業に出るんだ」といって他流試合に出掛けるものがいたもんです。仏師の店へ飛び込んで、
「師匠と腕の比べっこをしよう。何んでも題を出せ。大黒でも弁天でも、同じものを同じ時間で始めよう。どっちが旨く、どっちが早く出来上がるか、勝負を決しよう……」などと、力んだもの。それで、面倒であったり、または、腕のにぶい師匠は、そっと草鞋銭《わらじせん》を出して出て行ってもらったなど、これらもその当時の職人|気質《かたぎ》の一例でありました。



底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古
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