幕末維新懐古談
「木寄せ」その他のはなし
高村光雲

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)木寄《きよ》せ

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)仏師|塗師《ぬし》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)曲※[#「碌のつくり」、第3水準1−84−27]《きょくろく》
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 木寄《きよ》せのことを、ざっと話して置きましょう。
 仏師に附属した種々《いろいろ》の職業が分業的になってある中に、木寄師《きよせし》もその一つであります。これは材料を彫刻家へ渡す前に、その寸法を彫刻家の注文通り断ち切る役なのです。
 正式の寸法の割合として、たとえば坐像二尺の日蓮《にちれん》上人、一丈の仁王《におう》と木寄せをして仏師へ渡します。結局《つまり》、仏師が彫るまでの献立《こんだて》をする役です。これは附属職業の中でも重要なもので、それに狂いがあっては大変です。建築でいえば立前《たてまえ》だから立前が狂っていては家は建たぬわけ、木寄師がまずかった日には仏師は手が附かぬというのです。
 木寄師の仕事はこのほかに天蓋の鉢、椅子《いす》、曲※[#「碌のつくり」、第3水準1−84−27]《きょくろく》、須弥壇、台坐等をやる。なかなか大変なものである。
 それから、仏師|塗師《ぬし》、仏師|錺師《かざりし》等いずれも分業者である。江戸ではその分業が一々|際立《きわだ》って、店の仕事が多忙《いそが》しいとまでは行かないが、中古から(徳川氏初期からを指《さ》す)京都の方では非常に盛大なものであった。寺町通りには軒並みに仏師屋があってそれぞれ分業の店々がまた繁昌をしている。中古の(前同意義)仏師の本家は此所《ここ》でありました。
 京都には、由来寺々の各本山がありますので、浄土とか真宗とか、地方の末寺の坊さんが京の本山へ法会《ほうえ》の節上って行く。その時、地方で、上等ものを望む人は、その坊さんに頼み、これこれのものを注文して来て下さいと依頼する。坊さんは、法会の間、十日、半月位滞在しているが、その短期間にこれこれのものをと注文する。一週とか、十日間とかの間に、仏師はその注文品を仕上げるのであるが、たとえば、厨子《ずし》に入れて、丈《たけ》五寸の観音《かんのん
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