》を注文するとすれば、仏師屋では見本を出して示す。七円、十円と価格が分れているのを、十円のに決めて日限《にちげん》を切って約束をする。そこで仏師屋では、小仏《こぼとけ》を作る方の人が観音を作り始める。と、その五寸の観音の台坐を持って来い、と、それぞれ分業の店から、五寸という寸法で附属品を取って来る。それから、また、厨子を持って来い、何を持って来いとやる。まだ本尊が悉皆《すっかり》出来上がらない中に、附属品も、納まるものもチャンと揃《そろ》っている。日限の日になって観音が出来上がると万事用意が整っているのだから、五寸の立像の観音は、辷《すべ》るように厨子に納まり、そのまま注文|主《ぬし》の手に渡る。ほんの半月以内の短日月でこう手早く揃うのは、分業の便利であって、繁昌すればするほど、それが激しくなり、そうしてその余弊は仏師の堕落となり、彫刻界の衰退となりました。
 で、京都では段々と仏師に名人もなくなり、したがって仏師屋も少なくなり、今日では、寺町通りへ行っても、昔日の俤《おもかげ》はありますまい。これは彫刻というような特殊の芸術を需要の多いのに任せて濫作する弊……拙速を尚《とうと》んで、間に合せをして、代金を唯一目的にする……すなわち余りに商品的に彫刻物を取り扱い過ぎるところの悪習ともいえましょう。
 それに引き代え、江戸は八百万石のお膝下《ひざもと》、金銀座の諸役人、前にいった札差《ふださし》とか、あるいは諸藩の留守居役《るすいやく》といったような、金銭に糸目《いとめ》をつけず、入念で、しかも傑作を欲しいという本当に目の開いた華客《とくい》の多いこちらでは、観音一つ彫らすのでも、念に念を入れさせ、分業物の間に合せではなくして、台坐も天蓋も、これと目指した彫刻師の充分な腕によって出来たものを望むという気風がありましたから、京の寺町とは趣を異にし、芸術的良心が根まで腐るようなことはありませんでした。これは分業という話から余談にわたったが、まず以上のようなわけのものであった。



底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
   1929(昭和4)年1月刊
入力:山田芳美、網迫、土屋隆
校正:しだひろし
2006年2月1日作成
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