の間《ま》の一つ位はあるけれども、その時代は、普通の町人の家には床の間などはない。玄関や門などはなおさらのこと、……そういうもののあるのは、居附《いつ》き地主か、名主《なぬし》か、医者の家位です。住居でも、衣食のことでも、万事大層手軽なものでありますから、今いったような絵画彫刻というようなことに気が附かぬのは当然なことである。何んでも手に一つの定職を習い覚え、握りッ拳《こぶし》で毎日|幾金《いくら》かを取って来れば、それで人間一人前の能事として充分と心得たものです。
そんなわけで、私も単純に大工という職業を親たちが選んでくれたので、私にもまた別に異存のありようもなかった。でいよいよ弟子入りをするということに話は進んで行くのであるが、そのまた弟子入りということも簡単なものであった。弟子入りとして、弟子師匠と其所《そこ》に区別が附いて相当の礼をして、師弟の関係の出来るのは、それは学文《がくもん》とか、武芸の方のことであって、普通町人|側《がわ》の弟子入りは、単に「奉公」で「デッチ奉公」であります。デッチ野郎が小僧に行くことでありますから、別段特別の意味はないのであるが、ただ、その年期のこ
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