幕末維新懐古談
私の子供の時のはなし
高村光雲

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)現今《いま》の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)随分|辺鄙《へんぴ》な

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)きまり[#「きまり」に傍点]
−−

 これから私のことになる――
 私は、現今《いま》の下谷《したや》の北清島町《きたきよしまちょう》に生まれました。嘉永《かえい》五年二月十八日が誕生日です。
 その頃《ころ》は、随分|辺鄙《へんぴ》なむさくるしい土地であった。江戸下谷|源空寺門前《げんくうじもんぜん》といった所で、大黒屋繁蔵というのが大屋さんであった。それで長屋建《ながやだ》てで、俗にいう九《く》尺二|間《けん》、店賃《たなちん》が、よく覚えてはいないが、五百か六百……(九十六|文《もん》が百、文久銭一つが四文、四文が二十四で九十六文、これが百である。これを九六百《くろくびゃく》という)。
 四、五年は別に話もないが……私の生まれた翌年の六月に米国の使節ペルリが浦賀《うらが》に来た。その翌年、私の二ツの時は安政の大地震《
次へ
全6ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング