ことが好きで、よく一日そんなことに気を取られて、近所の子供たちと悪戯《いたずら》をして遊ぶことも忘れているというような風であったから、親たちもそれに目を附けたか、この児《こ》は大工にするがよろしかろうということになった。大工というものは職人の王としてあるし、職としても立派なものであるから、腕次第でドンナ出世も出来よう、好きこそ物の上手で、俺《おれ》に似て器用でもあるから、行く行くは相当の棟梁《とうりょう》にもなれようというような考えで、いよいよ両親は私を大工にすることにした。

 ちょっとその頃の私どもの周囲の生活状態を話して見ると、今からは想像の外《ほか》であるようなものです。現在《いま》ではただの労働者でも、絵だの彫刻だのというようなことが多少とも脳《あたま》にありますが、その頃はそうした考えなどは、全くない。絵だの彫刻だのということに気の附くものは、それは相当の身分のある生活をしている人に限られたもので、貧しい日常を送っている町人の身辺には、そんなことはまるで考えても見なかったものです。早い話が、家のつくりのようなものでも、作りからして違っている。今日ではドンナ長屋でも床《とこ》
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