された位でありました。親の富五郎も鼻高々で楽しんでおりましたが、ふと、或る年悪性の疱瘡《ほうそう》に罹《かか》って亡《な》くなってしまいました。そのため富五郎は悉皆《すっかり》気を落としてしまい、気の狭い話だが、自暴《やけ》を起して、商売の方は打っちゃらかして、諸方の部屋《へや》へ行って銀張りの博奕《ばくち》などをして遊人《あそびにん》の仲間入りをするというような始末になって、家道は段々と衰えて行ったのでありました。
 しかし、この富五郎という人は極《ごく》気受けの好《い》い人で、大層世間からは可愛がられたといいます。やがて、家業を変えて肴屋《さかなや》を始め、神田《かんだ》、大門《だいもん》通りのあたりを得意に如才なく働いたこともありますが、江戸の大火に逢《あ》って着のみ着のままになり、流れて浅草《あさくさ》の花川戸《はなかわど》へ行き、其所《そこ》でまた肴屋を初めたのでありました。
 花川戸の方も、所柄《ところがら》、なかなか富本が流行《はや》りまして、素人《しろうと》の天狗連《てんぐれん》が申し合せ、高座をこしらえて富本を語って大勢の人に聞かせている(素人が集まって語り合うことを
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