いました。枇杷、桃、柿などを張子《はりこ》でこしらえ、それに実物そっくりの彩色をしたもので一寸盛籠に入れて置物などにもなる。縁日などに出して相当売れていました。この野見氏の親父さんという人は、もと、熊本時代には興行物に手を出して味を知っている人でありましたから、長次氏もそういうことに気もあった。この人も前の両氏と仲よしで一緒に私の宅へ遊びに来て、互いに物をこしらえる職業でありますから、話も合って研究しあうという風でありました。
ある日、また、四人が集っていますと、相変らず仕事場の前をぞろぞろ人が通る。私達の話は彼の佐竹の原の噂に移っていました。
「佐竹の原も評判だけで、行ってみると、からつまらないね。何も見るものがないじゃありませんか。」
「そうですよ。あれじゃ仕様がない。なにか少しこれという見世物が一つ位あってもよさそうですね。なにかこしらえたらどうでしょう。うまくやれば儲かりますぜ」
「儲る儲らんはとに角、人を呼ぶのに、あんなことでは余り智慧がない。なにか一つアッといわせるようなものをこしらえてみたいもんだね」
「高村さん、何か面白い思いつきはありませんか」
というような話に
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