ければ無論出来ません。そこで大工を頼まなければならないので誰に頼もうという段になったが、高橋氏が、私の兄に大工のあることを知っているので、その人に頼むのが一番だという。なるほど私の兄に大工があるが、しかしこういう仕事を巧者にやってのける腕があるかどうか、それは不安心、けれども、苟《いや》しくも棟梁といわれる大工さん、それが出来ないという話はない、漆喰の塗り下で小舞貫を切ってとんとんと打っていけば雑作《ぞうさ》もなかろう。兄さんを引張り出すに限るというので、私もやむなく兄を頼むことに致しました。
そこで、兄は竹屋から竹を買い出してくる。千住の大橋で真中になる丸太を四本、お祭の竿幟《のぼり》にでもなりそうな素晴しい丸太を一本一円三、四十銭位で買う。その他お好み次第の材料が安く手に入りました。そこで大工の方で、左官に塗らせるまでの仕事一切を見積って幾らで出来るかというと(無論仕事師の手間賃も中に入っていて)、百五十円でやれるということです。それで、兄の友達の左官で与三郎という人が下谷町にいるので、それに漆喰塗りの方を頼んで貰いました。
黒漆喰で下塗りをして、その上に黒に青味を持った丁度大仏の青銅の肌のような色を出すようにという注文……それが五十円で出来るというのでした。すると、まず二百円で大仏全体が出来上がることになります。そうして、胎内に一つの古物見立展覧場を作るとして、いろいろの品物を買いこむのだが、この方には趣向を主として実物には重きを置きませんからまず百円の見積り……たりない所は各自《てんで》の所持品を飾っても間に合わせるという考えです。それで何から何まで一切合切での総勘定が三百円で立派にこの仕事は出来上がるというのでありました。
「よろしい。三百円、私が出します」
と野見さんはいうのです。なにも経験、当っても当らなくても、こうなっちゃ、損得をいっていられない。道楽にもやってみたい。儲かれば重畳……いよいよ取り掛りましょう、ということになりました。
それが三月の十五日で、梅若さまの日で、私が雛形を作ってから十日も経つか。話は迅《はや》く、四月八日釈迦の誕生日には中心になる四本の柱が立って建前というまでに仕事が運んでいました。最初はまるで串戯《じょうだん》のように話した話が、三週間目には、もう柱が建っている。実に気の早いことでありました。
さて、カヤ[#
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