々《くわう/\》とつくやうになつた。
 どこを見ても家だ、人間だ、電線だ、塀だ、門だ、私の頭は楯で押されるやうな高圧力を感じてゐる、二階の書斎には、かういつた峻烈な空気を幾分か調停するつもりで、友人の描いた青々した信州高原の花野や、木曾の峡谷や、日本アルプスの万年雪などの水彩画をかけつらねてある、手作りの粗《あら》ツぽい書棚には、ラスキンの論文集、ツルゲヱネフの小説、それから森林生活の聖老ソローの全集、コンラツドの海の文集、ラルフ・コンノルのスカイ・パイロツトのやうなものまで積み上げて、この窒素の多い空気の中から、強《しひ》ても酸性の呼吸をつかうとした。
 前の晩に遅く帰つた、その翌《あ》くる朝のこと、起き上つて、いつもの通り、二階から森を見ると、急に薄ら寒くなつて、羽目板へ押しつけられるやうな気がした、風情のよかつた樫の木が、伐り倒されて、紅を含んだ水々しい葉が消え失せ、森は前歯を抜かれたやうに、ガランとしてゐる、さうして灰色の空が、鈍い白壁のやうに、間《ま》の抜けた顔をして、ぼうと立つてゐる、私の網膜には錯乱の影が映つた、もう残つてゐるものは、見る影もない松と杉が五六本あるばかりだ
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