活を仕切る壁であつた。
私が山王山を知つてから、いづれも生活の敗残者であらう、この森の中で、首縊《くびくゝ》りが二人ばかりあつた、人目を避けるに、都合がいゝとは言ひながら、不思議なことに、死ぬ人は原始的に安息な自然を選ぶ、川や海に身を投げる人と森の中で縊《くび》る人と。
今となつてみると、新雪の輝やく富士山がよく見えぬからと言つて、出洒張《でしやば》つた杉木立の梢を恨《うら》んだのは、勿体《もつたい》ない気がする。
私は毎朝起きると、二階の戸を一二枚開けては、向ふの森を見る、樫の木は黄味の克《か》つた、薄赤い葉をつけて、枝が傘をひろげたやうに、丸くなつてゐる、杉の鮮やかな新芽は、去年ながらの黒く煙つたい葉の上に、青い珠《たま》を吐いてゐて、腕ツ節の強さうな、瘤《こぶ》だらけの黒松が、五六本行列はしてゐるものゝ、その木と木の間ががらんとして、森にあるべき茂味《しげみ》といふものがまるでない。
さうして、その空地や、新しく均《な》らされた土の上には、亜鉛屋根だの、軒燈だの、白木の門などが出来て、今まで真鍮《しんちゆう》の鋲《びやう》を打つたやうな星の光もどうやら鈍くなり、電気燈が晃々《くわう/\》とつくやうになつた。
どこを見ても家だ、人間だ、電線だ、塀だ、門だ、私の頭は楯で押されるやうな高圧力を感じてゐる、二階の書斎には、かういつた峻烈な空気を幾分か調停するつもりで、友人の描いた青々した信州高原の花野や、木曾の峡谷や、日本アルプスの万年雪などの水彩画をかけつらねてある、手作りの粗《あら》ツぽい書棚には、ラスキンの論文集、ツルゲヱネフの小説、それから森林生活の聖老ソローの全集、コンラツドの海の文集、ラルフ・コンノルのスカイ・パイロツトのやうなものまで積み上げて、この窒素の多い空気の中から、強《しひ》ても酸性の呼吸をつかうとした。
前の晩に遅く帰つた、その翌《あ》くる朝のこと、起き上つて、いつもの通り、二階から森を見ると、急に薄ら寒くなつて、羽目板へ押しつけられるやうな気がした、風情のよかつた樫の木が、伐り倒されて、紅を含んだ水々しい葉が消え失せ、森は前歯を抜かれたやうに、ガランとしてゐる、さうして灰色の空が、鈍い白壁のやうに、間《ま》の抜けた顔をして、ぼうと立つてゐる、私の網膜には錯乱の影が映つた、もう残つてゐるものは、見る影もない松と杉が五六本あるばかりだ
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