野より近く不二を仰ぐに愈《いよい》よ低し、偉人と共に家庭居《まとゐ》するものは、その那辺《なへん》が大なるかを解する能《あた》はざるが如し。この夏我金峰山に登り、八ヶ嶽に登り、駒ヶ嶽に登る、瑠璃《るり》色なる不二の翅脈《しみやく》なだらかに、絮《じよ》の如き積雪を膚《はだへ》の衣に著《つ》けて、悠々《いう/\》と天空に伸《の》ぶるを仰ぐに、絶高にして一朶《いちだ》の芙蓉《ふよう》、人間の光学的分析を許さゞる天色を佩《お》ぶ、我等が立てる甲斐の山の峻峭《しゆんせう》を以てするも、近づいて之《これ》に狎《な》るゝ能はず、虔《つゝ》しんでその神威を敬す、我が生国の大儒、柴野栗山先生|讚嘆《さんたん》して曰《いは》く「独立原無競、自為|衆壑宗《しゆうかくのそう》」まとことに不二なくんば人に祖先なく、山に中心なけむ、甲斐の諸山水を跋渉《ばつせふ》しての帰るさ、東海道を汽車にして、御殿場に下り、登嶽の客となりぬ。
 旅館の主人、馬を勧め、剛力《がうりき》を勧め、蓆《ござ》を勧め、編笠《あみがさ》を勤む[#「勤む」はママ]、皆之を卻《しりぞ》く、この極楽の山、只《たゞ》一本の金剛杖《こんがうづゑ》に
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