んでいるばかりで、輪廓も正体も握《つか》みどころがないが、裾を捌《さば》いた富士の斜線の、大地に這《は》うところ、愛鷹の麓へ落ちた線の交叉するところ、それに正面して、箱根火山の外廓が、目《め》ま苦《ぐる》しいまでの内部の小刻みを大まかに包んで、八の字状に斉整した端線を投げ掛けたところは、正に、天下の三大描線で、広々とした裾合谷《すそあいだに》の大合奏である。それらの山の裾へひろがるところの、違い棚のように段を作っている水田からは、稲の青葉を振り分けて、田から田へと落ちる水が、折からの旱天《かんてん》にも滅《め》げず、満々たる豊かさをひびかせて、富士の裾野のいかにも水々しい若さを鮮やかに印象している。私の登った北米のフッド火山は、大なる氷河が幾筋となく山頂から流れているにもかかわらず、麓の高原は乾き切って、砂埃《すなぼこり》とゴロタ石の間に栽培した柑橘《かんきつ》類の樹木が、疎《まば》らに立っているばかり。それに比べると、夏の富士は、焙烙《ほうろく》色に赭《あか》ッちゃけた焼け爛《ただ》れを剥《む》き出しにした石山であるのに、この水々しさと若さは、どうしたものであろう。殊に私を驚喜させた
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