のは、その水田に臼《うす》づくところの、藁屋《わらや》の蔭の水車であった。
『近世画家論』第四巻で、山岳を讃美したジョン・ラスキン先生は、一方において、セント・ジョルジ・ギルドの創立者であるが、すべての工業はその動力を風と水とに借るべきであると力説せられた。彼は水力電気を予想しなかった上に、最も蒸汽の力を借ることを憎んだ。彼に取って風景は、単に眼に訴える快感、その物のために価値があったのだ。沙漠の水は画的であると共に、富の源流でもあった。美と利とは一致さすべきものであった。しかし今はどうだ。正しく風に動力を借りるオランダ低地の風車は美でもあり、経済的でもあったろうが、レムブラントの名手に油絵、またはエッチングに取り入れられたあの風車の風景も、近来は電気工業に取って代られ、引き合わないために、風車はだんだん取り毀《こぼ》たれ、オランダ風物の代表は、全く失われんとしているとも聞いた。それだのに富士の裾野の水車は、水辺に夕暮の淡い色を滲《に》じみ出した紫陽花《あじさい》の一と群れに交わって、丸裸のまま、ギイギイ声を立て、田から田へ忙《せわ》しく水を配ばり、米を研《と》ぎ、材木を挽《ひ》いたり
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