永久に続く登山者をも、やがて忘却してしまうことだ。それではあまりに冷たく、さびしくはないか。私はなお思う、古くして滅びゆくもの、皆美し。

    七 石楠花

 いつごろからのいいならわしか、富士の五合目を「天地の境」と称している。五合目では、実際人の気も変る、誰もわらじの緒を引き締める。私は吉田口の五合目に一泊したが、夜中絶えず、人声と鈴音がする。起きて見ると、眼の前の阪下から、ぬっと提燈《ちょうちん》が出る、すいと金剛杖が突き出る。それが引っ切りなしだから、町内の小火《ぼや》で提燈が露路《ろじ》に行列するようだ。大抵の登山者は、ここで一息いれる、水を飲む、床几《しょうぎ》にごろりと横になるのもある。五合目は山中の立場《たてば》である。
 私は、御中道をするために、荷担《にかつ》ぎ一人連れて、小御岳神社の方面へと横入りをした。「途《みち》が違うぞよ」「そっちへゆくでねえぞ」遠くから呼ばった人の親切は、心のうちで受けた。水蒸気があまりに濃《こま》やかであったため、待ち設けなかった御来光が、東の空にさした。しかし旭日章旗のような光線の放射でなく、大きな火の玉というよりも、全身|爛焼《ら
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