ちで、ユニークな位置を占めていると思う。その上、同じ登山口でも、御殿場は停車場町であって、宿場ではない。須走《すばしり》は鎌倉街道ではあるが、山の坊という感じで、浅間《あさま》山麓の沓掛《くつかけ》や追分《おいわけ》のような、街道筋の宿駅とは違ったところがある。吉田だけは、江戸時代から、郡内の甲斐絹《かいき》の本場を控えて、旅人の交通が繁かっただけあって、山の坊のさびしさが漂うと共に、宿場の賑わいをも兼ねて見られる。
 裾野の草が、人の軒下にはみ出るさびしい町外れとなって、板びさしの突き出た、まん幕の張りめぐらされた木造|小舎《ごや》に、扶桑《ふそう》本社と標札がある。扶桑講を講中としているところの、富士崇拝教の本殿である。講中でこそないが、私も富士崇拝者の一人として、黙礼をして、浅間《せんげん》本社へと足を運んだ。
 一歩境内に踏みいると、乱雑なる町家から仕切られて、吉野山の杉林を見るような、幽邃《ゆうすい》なる杉並木が、富士の女神にさす背光を、支持する大柱であるかの如く、大鳥居まで直線の路をはさんで、森厳に行列している。その前列の石燈籠《いしどうろう》は、さまで古いものとは思われな
前へ 次へ
全58ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小島 烏水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング