作、農民美術と立札してあった。小流れを門前に控えたどこかの家の周りには、ひまわりの花が黄色い焔《ほのお》を吐いている。この花の放つ香気には、何となしに日射病の悩みが思われる。
町は、絶えず山から下りる人、登る人で賑わっている。さすがに、アルプス仕立の羽の帽子を冠《かぶ》ったり、ピッケルを担《かつ》いだりしたのは少ないが、錫杖《しゃくじょう》を打ち鳴らす修験者、継《つ》ぎはぎをした白衣の背におひずる[#「おひずる」はママ]を覆《かぶ》せ、御中道大行大願成就、大先達某勧之などとしたため、朱印をベタ押しにしたのを着込んで、その上に白たすきをあや取り、白の手甲に、渋塗《しぶぬ》りの素足を露《あら》わにだした山羊《やぎ》ひげの翁《おきな》など、日本アルプスや、米国あたりの山登りには見られない風俗である。大和大峰いりのほら貝は聞えないが、町から野、野から山へと、秋草をわたり、落葉松《からまつ》の枯木をからんで、涼しくなる鈴の音は、往《おう》さ来《きる》さの白衣の菅笠や金剛杖に伴って、いかに富士登山を、絵巻物に仕立てることであろうか。行者と修験者の山なる点において、富士と木曾御嶽は、日本の山岳のう
前へ
次へ
全58ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小島 烏水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング