て来てくれたが、私はやはり、参詣を済ませてから乗りたいため、馬を社後まで戻させ、手軽なリュックサックを提《さ》げて町を歩きだした。さすがに上吉田は、明藤開山《めいとうかいざん》、藤原|角行《かくぎょう》(天文十年―正保三年)が開拓して、食行身禄《じきぎょうみろく》(寛文十一年―享保十八年)が中興した登山口だけあって、旧|御師《おし》町らしいと思わせる名が、筆太にしたためた二尺大の表札の上に読まれる、大文司《だいもんじ》、仙元房《せんげんぼう》、大注連《おおしめ》、小菊、中雁丸《なかがんまる》、元祖|身禄宿坊《みろくしゅくぼう》、そういった名が、次ぎ次ぎに目をひく。宿坊の造りは一定していないが、往還から少し引ッ込んだ門構えに注連《しめ》を張り、あるいは幔幕《まんまく》をめぐらせ、奥まった玄関に式台作りで、どうかすると、門前に古い年号を刻み入れた頂上三十三度石などが立っている。芭蕉翁に、一夜の宿をまいらせたくもある。
 みやげ、印伝、水晶だの、百草《ひゃくそう》だのを売ってる町家に交って、朴《ぼく》にして勁《けい》なる富士道者の木彫人形を並べてあるのが目についた。近寄って見たら、小杉未醒原
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