や糸立を強くつかんで、大宮口の五合目へ、ほうほうの態《てい》でたどりつき、たき火でぬれた上衣を、かわかすのに暇取った。
 ここから宝永山の噴火口へは、三丁位であろう。雨あがりのすんだ空に、第一噴火口と、第二噴火口の馬の脊道《せみち》に立って見あげる。火口壁は四十度以上の急角度で、胸突《むなつき》八丁よりも峻嶮《しゅんけん》に、火口底までは直径約一千尺の深さで、頂上内院大火口よりも深いものである。灰青色した緻密の熔岩と砂礫と互層をしているところを、筋違《すじか》いに岩脈がほとばしって、白衣の道者たちが大沢で祈ったのと同じように、この岩脈を十二薬師の体現と信じて、崇拝するという話である。ともかくも、赤く焼けてくすぶった熔岩や、白ッちゃけた岩脈のくずや、黒い小粒の砂礫が、無秩序に積み累《かさ》ねられたところは、九千尺に近い山中というよりも、かきや蛤《はまぐり》の殻を積み上げた海辺にでも、たたずんでいるようであった。
 お中道めぐりの時は、ここから御殿場の三合目の小舎に出て下山したが、これより先、大宮口から茨木君と長男を連れて来たときは、この大宮口の五合目の室から六合七合と登った。そして七合五勺の室へ来て、海抜三千二百米と、棒杭《ぼうくい》に註されたのを見たとき、私は身の丈が急に高くなったような気がした。何故ならば、日本のあらゆる高山の絶頂を私たちは、もうここで超越しているからだ。南アルプスの白峰《しらね》、北岳、間《あい》の岳《たけ》にしても、北アルプスの槍ヶ岳、穂高岳にしても、三千二百米の高さには達していない。七合五勺で、日本アルプスの最高点以上の空に浮かび上っているのだ。「高いなあ富士は」と叫んだ、「そして大きい」とつけ足した。
 八合目の少し下に鳥居があって、八合目からは浅間神社奥宮の管理に移っているのだそうだ。頂上からかけて、七合下りまで、銀流しの大雪が、槍ヶ岳の雪渓にちょっと似ているが、八月半ごろまでには大抵溶けて、九合目以上のと、内院火口にへばりついている残雪だけが、万年雪として残るらしい。傍《そば》で見ると、富士の万年雪の美しいのに打たれる。九合半のしし岩は、両あごを突きだした形をしていたが、震災のため下あごがもぎ取られて、落ちてしまったという。九合半を出外《ではず》れて、熔岩の一枚岩、約三丁の長さを、胸突八丁の絶嶮と称しているが、胸突なるものはいずれの登り口にもあるが、大宮口の傾斜が、もっとも峻急であると思う、焼岩の大きな割れ目の内部は、光沢《つや》麗《うるわ》しい灰青色の熔岩が露《あら》われている、三島岳つづきの俵岩《たわらいわ》の亀裂せる熔岩塊と、すれすれによじ登ったが、ベエカア山や、フッド山の氷河を渉《わた》った釘靴《くぎぐつ》をはいていたので、釘が熔岩の裂け目に食い込み、すべりもせずに頂上に出られた。頂上には旅人宿《はたごや》めいた室、勧工場《かんこうば》然たる物産陳列所、郵便局、それから中央の奥宮社殿は、本殿、幣殿《へいでん》、拝殿の三棟に別れて、社務所、参籠所《さんろうしょ》も附属している。案内記に「四壁|屋蓋《おくがい》畳むに石をもってし」とある通りで、奥宮を中心とする山の町である。実に日本国中、最高の町である。アルプスのモン・ブランにもなく、シエラ・ネヴァダのマウント・ホイットニイにも見られない町である。浅間神社の主典《しゅてん》、富士武雄氏の好意ある接待に預かり、絵ハガキや案内記を頂戴する。絶頂の郵便局から、大宮町の大山さんと電話通信をした。日本の一番高い町から、もっとも低い町への通話である。その間に茨木君は「コノシロ」池の写生に出かけられた。大宮方面の案内者は、深沢弥作といって、親切な男であったことを附記する。
 富士の四合目から以上を輪切りにすれば、木山に対するいわゆる石山で、イワツメグサ、オンタデなど、薄い髪の毛のような草はあっても、眼にいらず、ただ見上げるばかりの岩石の堆積である。それも熔岩と砂礫の互層や、岩脈のほとばしりを露出して、整然たる成層美を示すところもあるが、多くは手もつけられないほど、砂礫や灰を放擲《ほうてき》したようで、紛雑《ふんざつ》を極めている。その石も巨大なるブッ欠《か》きや、角の取れない切石や、石炭のかすのような「つぶて」で、一個一個としては、咸陽宮《かんようきゅう》の瓦一枚にすら如《し》かないものであるが、これが渾然《こんぜん》として、富士山という創造的合成を築き上げたとき、草も、木も、人も、室も、この中へと融合同化してしまう。そして、山体の完備を欠損するかの如くに見える放射状の側火山も、同心円の御中道も、輻射状の谷沢も、レイニーア山や、フッド山が、氷河を山頂、または山側から放流して、山の皮膚ともなり、山それ自体の一部ともなってしまうように、かえって創造的合成の効果を
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