始めて「大願成就」になるのだが、私は故あって、逆に山に向って右廻りをした。そのため一歩踏み出したばかりで、御褒美《ごほうび》の水引きを先へ頂戴してしまった。これは逆廻りといって、道者は忌《い》むのだそうで、案内者をもって自任する荷担ぎの男は、私から右の水引と朱印を取りあげて、遂に返してもらえなかった。
何故《なぜ》逆廻りをしたかといえば、御中道は、前にも廻っているんだが、小御岳から御庭を通じて、大宮道へ出遇うまでの、森林の石楠花《しゃくなげ》を見たかったのだ。それには毎日午後から雷雨と聞いているから、晴れた朝によく見て置きたいと思ったからだ。幸いにして、石楠花を見る目的は、十分に遂げられた。同時に不幸にして、雷雨の予覚は当り過ぎるほど当った。
神社を出て、富士の胴中《どうなか》に、腹帯を巻いたような御中道へとかかる、この前後、落葉松が多く、幹を骸骨のように白くさらし、雪代水《ゆきしろみず》や風力のために、山下の方へと枝を振り分けて、うつむきに反《そ》っている、落葉松の蔭には、石楠花がちらほら見えて、深山の花の有する異香をくんじているが、路が御庭へ一里、大沢へ約二里と、森の中へ深いりすると、落葉松の間から、コメツガや、白ビソの蔭から、ひょろ長い丈の石楠花が、星のようにちらつく。それも、横に曲りくねった、普通平地で見るような石楠花でなく、白花石楠花である。高さは一丈以上に達したのも珍しくない。つばきの葉を見るような、厚い革質のくすんだ光沢《つや》があって、先端の丸い、細長い楕円形の葉を群がらしている。その裏返しになったところは、白蝋《はくろう》を塗ったようで、赤児の頬の柔か味がある。美しいのはその花弁だ。白花という名を冠《かむ》らせるくらいだから白くはあるが、花冠の脊には、岩魚《いわな》の皮膚のような、薄紅《うすべに》の曇りが潮《さ》し、花柱を取り巻いた五裂した花冠が、十個の雄蕊《ゆうずい》を抱き合うようにして漏斗《じょうご》の鉢のように開いている。しかもその花は、一つのこずえの尖端に、十数個から二十ぐらい、鈴生《すずな》りに群《むらが》って、波頭のせり上るように、噴水のたぎるように、おどっているところは、一個|大湊合《だいそうごう》の自然の花束とも見られよう、その花盛りの中に、どうかすると、北向きに固く結んだつぼみが見える。つぼみと、それを包む薹《とう》とは、赤と
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