白とを市松格子形《いちまつこうしがた》に互層《ごそう》にして、御供物《おくもつ》の菓子のように盛り上っている。花として美しく開くものは、つぼみとしてまず麗わしく装わねばならなかった。私は平原の草野において、山百合の花を愛し、深山の灌木において、もっとも白花石楠花を愛する。
殊に白花石楠花は、日本の名ある火山に甚だ多く(もちろん火山以外にも、少ないとはいわぬ)、近いところでは、天城山、八ヶ岳にも繁茂しているし、加賀の白山にも多いところから、白山石楠花とも呼ばれているくらいであるが、高山植物の採集家として聞えた故城数馬氏は、日光の湯ノ湖を取り囲む自然生の石楠花の、いかに多く茂っていたかを、私に物語られ、今では蕩尽《とうじん》されて、僅に残株《ざんしゅ》を存するばかり、昔のおもかげは見る由もないと慨《なげ》かれたが、小御岳から、大沢をはさんで、大宮口に近い森林まで、純美なる白石楠花の茂っていることは、私を悦《よろこ》ばせる。安政六年版の玉蘭斎貞秀画、富士登山三枚続きの錦絵には、「小御岳、花ばたけ、しゃくなぎ多し」とあるから、昔から多かったものと見える。お花畑の名が、富士にあるのも珍らしい。
黒砂の道は、去年ながらの落葉を埋《う》めこんで、足障《あしざわ》りが柔かく、陰森なる喬木林から隠顕する富士は赤ッちゃけた焼土で、釈迦《しゃか》の割石《わりいし》と富士山中の第二高点、見ようによっては、剣ヶ峰より高く見える白山ヶ岳の危岩が仰がれ、そのくぼみには、シャモニイの氷河の古典的なるが如くに、富士の万年雪を、古典的にしたところの残雪が、べっとりと塗りこめられて光っている。これも貞秀の錦絵に「牛が窪、四時雪あり」とあるから、昔ながらの雪と見えるが、今ではかえって、ここの万年雪を、人が言わないようだ。それと共に、もし富士山に北米レイニーア火山のような氷河が放射していたならば、今の白石楠花の茂りは押し流されて見るべくもないから、私は現在の万年雪で満足し、花と雪を併せ有することを悦びとしたい。
それからまた、私はこのたびの登山が、七月から八月へかけてであったことを悦んでいる。十月では野にこの青味がない、五月では山にこの花がない。今は青い草と花があって、完全に山と裾野の美を示している。沈黙してたたずんでいると、鶯《うぐいす》鳴き、ホトトギス鳴き、カケスが鳴き、眼覚めた鳥が、一せいに声を
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