ねないのは、この川楊ばかりだ。何となく、いやな樹だ。
 谷のことだから、水を横に切っては、右側へ移ったり、左側へ寄ったりする、私の前には、猟師が、鍋や米袋をしょって行く。腰に括《くく》ってある紫の風呂敷が、揺れると、強烈な色彩の波動《バイブレーション》が、流水の震動と一つになって、寂しい谷が、ぱっとなる。
と、眼の前に、ふわりと、雪の粉が落ちる……七月末の炎天である……直ぐ、水に吸い込まれて消える……また、頬を掠《かす》めて、ふわりと飛ぶ。信濃の浅間山、飛騨の硫黄岳、遠くの火山から、吹きなぐれた灰でもあろうか……空は曇り切って、どんよりと、眠むそうな顔をしている。何だろう、今のはと、眼と眼を見合せる。鶺鴒《せきれい》が、もの忘れから気が注《つ》いたといった風に、石の上から、ついと飛ぶ。
 ふと、頭の上を見ると、谷に冠さるようにのさばって、古い、大きな、先刻のと同類の楊の梢が一本ぶらりと垂れている。その梢に、一面のほうけた絮《わた》が、風もないのに、氷でも解けるように、はらり、はらりと、落ち散るのであった。
 その後、春になって、街道に青く角芽《つのめ》ぐむ柳の糸を見るたびに、大井川上流
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