し、残篇風土記に、巨摩郡西隈本木賊とあり、意《おも》ふにこの川の古名なるべし」、今も木賊が、この辺到るところに自生している。
 材木小舎があって、男女七、八人、精々と労作をしている、木は唐檜《とうひ》が多く、飯櫃《めしびつ》の材料に、挽《ひ》き板に製している、晃平を使いに立てて、一泊を頼んで見たが、聞き入れない、一行は急流に架けた木橋を渡って、能呂川の対岸に出ると、北岳が頭を圧すように、近く空を劃《かぎ》って、頭抜《ずぬ》けている、「あの山の頂を踏んだ」という誇が、人々の顔にまざまざと読まれた。
 十町ばかりも足をひきずって歩いたが、ここに川縁の広い沙原――下樺《しもかんば》という――を見つけて、今夜の野営を張ることにした、床は栂《つが》の葉で布《し》き敷めた、屋根は例《いつも》の油紙である、疲れた足を投げ出して、荷の整理にかかる、今日は殊に岩石の多い傾斜地を来たので、今までは一日一双か二双位の草鞋《わらじ》が、平均五双ずつを費やした、最も堅固なものにしていた麻の草鞋も、大穴が明いて、棄てるより外はなかった、繃帯《ほうたい》、絆創膏《ばんそうこう》、衣服の修繕の糸や針、そういうものが、人々の手から手に取り交わされた、谷川の清い水で、鍋や茶碗が充分に洗われた、この日の夕餉《ゆうげ》はうまかった。
 夜になって空に星はあったが、電光が白い柱を、谷の中に投げては、夜営の人々をおどろかした、夜半には、秋雨が音なく注いだ、川縁に転がっている流材を焚火にして、寒さを凌《しの》いだ、針葉樹の切崖で囲んだ、瓶のように窄《せま》い谷底からは、天も谷川ほどの細さで流れている。



底本:「山岳紀行文集 日本アルプス」岩波文庫、岩波書店
   1992(平成4)年7月16日第1刷発行
   1994(平成6)年5月16日第5刷発行
底本の親本:「小島烏水全集」大修館書店
   1979(昭和54)年9月〜1987(昭和62)年9月
入力:大野晋
校正:伊藤時也
2009年8月18日作成
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