あそん》が、西海《さいかい》の合戦にうち負け、囚はれて鎌倉へ下るときに、この天竜川の西岸、池田の宿に泊つて、宿の長者|熊野《ゆや》が女《むすめ》、侍従の許に、露と消え行く生命の前に、春の夜寒の果敢ない分れを惜しんだことは、「平家物語」に物哀しくしるされてある。
かの近松の道行振りなどの、始祖をなしたかとおもはれる「太平記」の、俊基《としもと》東下《あづまくだ》りは、私などが少年時代に、よく愛誦したものであるが「旅館の燈幽にして、鶏鳴暁を催せば、匹馬風に嘶いて、天竜川をうち渡り、小夜《さよ》の中山越え行けば、白雲路を埋み来て、そことも知らぬ夕暮に……」といふ七五調の、メロヂアスな文句は、いかに大河を横切つて、死にに行く身の悲壮なる光景を、夢幻的に現はしてゐるであらうか、東海道の美しい歴史は、文化の京都から、野蛮の関東へと、廃頽して行く筋道となつて開展される、王朝時代のデカダン詩人、業平《なりひら》の東下りは、哀れにも華やかな序幕を明けた、さうしてそれから後に、多くの「東下り」なる悲劇が、殊に多く川の岸を舞台として、演ぜられてゐるのは、注意すべきことであらう、行きて返らぬ川の姿と、石にせ
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