画を見つめさせるやうに、すがれた色彩と、暗い陰影を味はせる東海道にあつても、この天竜川は、音に名高い大河であつた、小天竜大天竜は、川筋の変つた今では、その跡をたづねられないが、名だけは古い地理書に残つてゐる、
「十六夜《いざよひ》日記《につき》」の女詩人は、河畔に立つて西行《さいぎやう》法師《ほふし》の昔をしのび、「光行紀行《みつゆききこう》」の作者は、川が深く、流れがおそろしく、水がみなぎつて、水屑《みくず》となる人の多いのにおびえてゐる。
日本の歴史の恐怖時代といふべき、平家の末路から、鎌倉の執権政治にかけて、悲壮なる運命劇は、何故か東海道の河畔で演ぜられたのが多い、承久の乱に鎌倉に囚はれて、東下《あづまくだ》りの路すがら、菊川《きくがは》の西岸に宿つて、末路の哀歌を障子に書きつけた中御門《なかみかど》中納言《ちうなごん》宗行《むねゆき》卿《きやう》もさうである。「菊川に公卿衆泊りけり天《あま》の川《がは》」(蕪村《ぶそん》)の光景は、川の面を冷いやりと吹きわたる無惨の秋風が、骨身に沁みるのをおぼえようではあるまいか、更にそのむかし、平家の公達《きんだち》、重衡《しげひら》朝臣《
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