火山として目すべきものは、いくらもない、そこで日本の火山線の最も大なるものは言うまでもない富士帯で、富士帯の大幹とも根柢ともいうべき富士山は、南に伊豆函根の諸山を放って海に入っているが、北は茅ヶ岳、金ヶ岳、八ヶ岳と蜒《う》ねって、その間に千曲川の断層を挟んで、日本南アルプスの白峰山脈、または甲斐駒山脈と並行している、この大火山線、純粋なる水成岩の大山脈(白峰山脈)と両々|対峙《たいじ》しているところは、日本山岳景でも、他に比類のないほど、水火両岩の区別が鮮明に、かつ両岩の特相が著しく対照されているところで、赤石白峰山脈は、日本北アルプスや、またはその山麓のように、火山灰などで被覆されたりしていないから、地層も比較的分明で、地質年代の考定に必要な、化石の発見なども、比較的容易に出来はしまいかと思われる、ただ今日までのところ、人がいくらも入って来ていないから、それが知られていないのであるが、今日信州あたりの博物学者が、嗟嘆するように、火山灰のために、化石という地史上唯一の証券が埋没されて、手もつけられないというような患《うれ》いは、先ずなかろうと思われる、然るに富士帯の火山線は、甲斐駒ヶ岳山脈の支脈、釜無山脈になると、混じ合って、更に北の方、飛騨山脈となると、名にし負う御嶽乗鞍の大火山が噴出して、日本北アルプス系の、火成岩や、水成岩と、紛糾錯綜して、そこに日本山岳景に独特な風景[#「日本山岳景に独特な風景」に白丸傍点]、語を換えて言えば、地球の屋棟と言われているヒマラヤ山にも、または山岳という山岳の、種々相を、殆んど無数に、無類に具備しているというアルプス山にも、絶無な風景を作っている。
私は従来の風景論者のように、火山ばかりを抽《ぬ》き出して、他の山岳から離隔して、それを特色とすることを好まない、またこの頃の一部の若い人たちのように、日本アルプスからとかく、火山を継子扱いにして扉の外に突き出すことにも、与《く》みされない。
火山の特徴として、何人にも気が注《つ》かれるのは、その端厳なる形式の美しさである、アルプス式の山岳に、氷雪と、光線の美しさがあるとすれば、火山の山岳には、岩石の輪廓と、色彩の美しさがある、アルプス式山岳に登るのは、場所によっては氷や雪の上をばかり、踏まされるような感じのするところもあるが、日本の火山は、赤裸々として、全くの岩石登り Rockclimbing である、土に執著があるならば、岩石に執著があるならば、アルプスのように、氷雪の上を釘靴《ネイルド・ブーツ》や、カンジキを穿《は》き、アルパイン・スチックを突き立て、二重服三重足袋の旅行をするよりも、草鞋《わらじ》で岩石をザクザクやりながら、手ずから火口壁の赭褐《しゃかつ》色なる大塊を握《つか》むべきである、そこに地心の十万億土から迸発《ほうはつ》した、赤焼のした、しかしながら今は凝固した、冷たい胆汁《たんじゅう》に触れることが出来るのである。
しかも火山を絶対に美しく、完全に美しく見せるのはその輪廓である、私はラスキンをかなり読んだ方だが、火山を知らない人の風景論は、私には異なれる言語で、話しかけられるような、まだるッこさを感じないでもない、あの人の『ヴェニスの石』の第一巻「装飾の材料」で、シャモニイ渓谷の或山で見た氷河、それはアルプスの氷河としては、第二流に属するに過ぎないものであるそうだが、一|哩《マイル》の四分の三ぐらいの長さの線を、今までの生涯(第一巻の出版は彼が三十三歳の時である)中に見た、最も美しい、最も単純な線であると讃嘆しているが、私は「ラスキンは不仕合せな男だなあ」と、いまだに思っている、北斎や広重の版画を見ずにしまった彼は、富士山の線の美しさを、夢想にもしなかったらしい、東海道の吉原から、岩淵あたりで仰ぎ見る富士山の大斜線は、向って左の肩、海抜三七八八米突から、海岸の水平線近く、虚空を縫って引き落している、秋から冬にかけた乾空には、硬く強く鋼線のように、からからと鳴るかと思われ、春から夏にかけて、水蒸気の多い時分には、柔々《やわやわ》と消え入るように、または凧《たこ》の糸のように、のんびりしている。地平線と水平線とを別として、我が日本国において見らるべき、有《あ》らゆる斜線と曲線の中で、これこそ最大最高の線であろうと、いつも東海道を通行するたびに、汽車の窓から仰ぎ見て、そう思わないことはない。
私はいつか浅間山の追分ヶ原に遊んだことがあった、そこに若い学生が、浅間山を写生していた、すると今まで静かに茶褐色の天鵞絨《ビロード》に包まれて、寝ていたかと思われる浅間山が、出し抜けに起き出してでも来るように、ドンドンと物を抛《な》げ出す響きにつれて、紫陽花《あじさい》の大弁を、累《かさ》ねて打っ違えたような、むくむくと鱗形をした硫煙が
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