こで草鞋《わらじ》を脱ぎ切ってしまうのは、残念で堪《た》まらない、きのうまで案内に連れて歩いた嘉門次爺が「やれお疲れなさんしつろう」と障子の外から声をかけて、入って来た。
 爺はことし六十五であるが、穂高山の主《ぬし》と言われるくらいな山男で、何でも二十五、六歳のころ、旧の師走であったが、三人連れで、この温泉の上まで、猟にやって来たとき、雪崩《ゆきなだ》れに押し流されて、一里も下まで落っこち、左の脚を折ったということで、もし自分一人であったら、到底命は助からなかったろうと、物語った。今でも気をつけて視ると、すこし跛足を引いているが、利《き》かぬ気の父《とつ》ッさんである、この嘉門次が一年中の半分は、寝泊りしているところは、温泉宿から半里ばかり、宮川の小舎といって、穂高岳の麓にある、宮川の池の畔《ほとり》にしつらえた、間口二間奥行二間半ほどの、木造小舎である、この小舎の後ろから、穂高岳は、水の綺麗に澄んでいる池を隔て、鉄糞《かなくそ》で固めたように、ドス黒く兀々《ごつごつ》として、穹窿形《きゅうりゅうけい》の天井を、海面から約一〇二四〇尺(三一〇三|米突《メートル》)の高さまで、抜き出し
前へ 次へ
全79ページ中65ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小島 烏水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング