ら、頬にピリつく、嘉代吉や人夫も、偃松の間の石饅頭に、腰を卸して、烟菅《キセル》を取り出し、スパスパやりはじめた、その煙が蒼くうすれて空に燻《くゆ》ってゆくのを、私はうっとりと眺めていたが、耳のわきで、虻《あぶ》のブンブン呻《うな》るのを聞きながら、いい心持に眠くなってきた、凡《す》べて生けるもの、動けるものの、肉から発する音響という音響を、一切断絶して、静の極となった空気の中で、このまま化石してしまいそうだ。「父っさんだ」「オー父っさんだ、早いもんだな」と人夫たちが、騒ぎ出したので、垂るんだ眼の皮を無理やりに張って、谷底を見ると、万年雪の上に、ポツリと黒子《ほくろ》ほどの大きさに点じているものがある、その黒子の点をさがしあてたときには、少しずつ影がずり寄るように、動いているのが解った、嘉門次が米をしょいがてら、温泉からやって来て、今夜嘉代吉と交替する手筈になっていたことが、やっと考え出された、重いまぶた[#「まぶた」に傍点]が、いくらかはっきり[#「はっきり」に傍点]して来た。
 高低のある絶壁の頭を越して、峰頭の二分した槍の大喰岳を通過してしまい、やっと槍ヶ岳の根元へついた、そうし
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